2012年7月7日土曜日

日本の一階性思想の要点について

 小林秀雄さんの「本居宣長」で描かれている思想は、普通の人が普通に幸せになるのはどうすればいいのかという思想なのです。

まず、日本における高階性の思想の変遷を見てみましょう。日本の国を統治するにはやはり他の国同様の高階性の思想が必要であったことは否めません。これは正義が平等の観念より起り、その平等の観念の裏付けに高階性の思想が必要だったということを意味しているでしょう。

ただ、それは時代時代において変遷するものでした。古代では仏教が重く用いられ、江戸時代には儒教が重く用いられます。

これはそれぞれに仏や天というアニミズムを超越した、こう言ってしまうと語弊はあるとは思うのですか神、というものを想定していると思います。仏をそういうキリスト的な神と同一視しまうのは多少問題があると思いますが、仏が絶対不可知であるという意味において儒教の天という思想に近く、それぞれが自然というものあるいは、我々にとって、知ることのできない運命というものに対しての、いわゆる象徴あるいは観念として表わされているというのは間違いないと思います。

天が非人格神であるのに対し仏は人格神の側面があり、それはそこにおいては、日本神話あるいはキリスト教に近い考え方だとにも言えます。しかし、そういう分類がここでは特に深い意味があるという訳ではありません。

時代時代において国家の統一における思想の根源としてそのような超越神というものが必要になったという側面が強く感じられます。しかし、そこにおいての深い考察はここではしないことにしてます。

ここで言いたいのは、日本古来の思想はおしなべてずっと日の当たらない日陰者だったということです。例えば和歌にしろそうでした。例えば在原業平は、古今随一の歌い手でしょうが、漢籍ができなかったからこそ、上手い歌い手だったという事も言われています。そういうところから日本固有のひらがなやカタカナが生まれてきたというのもまた否定できません。そういういわゆる色好みの家にしか残っていなかったようなものが紀貫之の土佐日記から紫式部の源氏物語へと発展していったわけです。

源氏を注釈した宣長は「もののあわれ」ということばに、使用されていた意味以上の概念を付け加え、はち切れんばかりにしたということは小林秀雄さんも指摘しています。しかし、そこから、万葉へ遡りさらには現代でも通用する古事記の注釈をなした、というところが、まず大事なのです。

宣長は官儒とは独自の発達を遂げた、日本の儒学、とくに、荻生徂徠に強い影響を受けていることも小林さんの「本居宣長」には描かれています。また、若いころから仏教をたしなんだことも描かれています。

観相によって人間など所詮肉の下は骸骨だなどという考え方は当時も随分流行ったようです。

例えば、臨済宗禅での初歩の公安に「火を千里先に付けるにはどうしたらいいか」というのがあって、「火になります」というのが正しい答えだったりします。そういうことを繰り返して、悟りを開いているかどうかということを、試していくわけです。しかし、そうやって悟りを開いたからといって、世界が変わるわけでもありません。せいぜい、死んだ後、輪廻転生から外れるくらいのものでしょう。仏と成るかどうかも怪しい。悟ってからが醍醐味という言葉もあるくらいです。

禅の悟りの段階を説いたものに十牛図というものがあります。色々解釈があるようですが、ついには街中に行って人々と暮らす。そこに現世での悟りの終着点があるわけでしょう。皆、坊主になれとはどこにも描かれていない。

そういうことを考える時に、日本神話は面白いもので、スサノオのみことは父のイザナギのみことより、海を司るように命じられながら、母に会いたいとワンワン泣き、姉のアマテラス大御神に会うために天界に行き、不行状によって追放される。追放された後、八岐大蛇を退治する。そういうふうに描かれています。ある種ばかげたぐらいに素直に感情を表に出しています。

勇ましいことは滑稽だ、というのは私の好きな小林さんの言葉ですが、いくら、威張ってみたところで、人々の暮らしは良くなりません。つらいものはつらい、という感覚を忘れようとしても、皆が皆仏様になれるわけではない。仏様になれる可能性はどの人にもある。所謂仏性はもしかするとものにも存在するかもしれない。そういうことは、大事なことですが、すでに説いた素朴な視線を持てば、忘れても良いことです。いわば、緊縮財政を強いたところで結局、ギリシアは政治的に混乱してしまい、再びユーロソブリンリスク問題が持ち上がる。そういう、人の自然な感覚、しかし、どこかで健全性と結びつくような素朴な感覚を大事にしなさい。ということが、「本居宣長」で描かれていることであり、そこが、私は、もっとも大事な事の一つなのでは、と思います。



初出:ホンダエツロウの悪戦苦闘 5月20日 http://etsurohonda-blog.blogspot.jp/2012/05/blog-post_20.html

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