2012年7月3日火曜日

「本居宣長」の出だしについて

小林さんの「本居宣長」は宣長のお墓の話から入る。その前に若干、若い頃に、民俗学の大家、折口信夫を訪ねたときのエピソードが載っているのだが、まあ、お墓の話から入ると言って良いだろう。お墓を尋ねていったときのエピソードに始まり、宣長の遺言に及ぶ出だしであるからだ。

そこが一番の謎だった。なぜなら、「本居宣長」の最後には、これで最初に戻る、ということが書かれているのである。

今日、ぼんやりしているとここが最も重要かもしれないとも思われた。

この『最初に戻る』、というのは私が理解している限り二つの意味があるようだ。原点に戻る、ということと、もう一つはやはり、過去に過去を語ることに関する自己言及パラドックスのことであろう。

原点に戻る。というのは難しい。追々説明していくことになろう。太陽の周期から時という概念を持つようになった、ということを指している、と言うこともできる。しかし、生命の始まりと終わりの繰り返し、それが長いときを通じて、それぞれの生命の一度きりしかない瞬間が死で終わると捉えた方が良いように思う。

原稿を依頼されてからしばらく経ったある日、天気が良かったので、宣長の居た松坂へ行こうとした。旧跡を尋ねていくと、旧邸宅は鈴屋遺跡として大切に保存されていたが、お墓は地元の松坂駅に止まっていたタクシーに聞いても分からないと言う。

そのような形で、徐々に宣長の遺言の話に入っていく。遺言書から入るのは、宣長の人柄を知るのに良い資料であると同時にその思想の結実と言って良い最後の著作であると小林さんは位置づけている。思想の結実、から入っているので、『本居宣長』の最後が最初に戻るというのが一番分かりやすい解釈かもしれないとは思う。主題とも言える結論をまず示しておき、変奏曲のように変奏をしていく。実際、『本居宣長』では、そのような記述をされているところもあるからだ。

宣長は遺言に、お墓ついて、葬られ方について、後々の祀られ方について詳しく指定している。

お墓は二つあるらしいが、これは当時の人に普通のことであった。ただ、そのお墓の一つは図示をしてまでいろいろ指図している。墓はとにかく質素で良い。しかし、大好きだった桜も植えて欲しいなどなど。

そして、細かく自分の送られ方を二通り書いている。まず、遺体は夜中、密かに寺へ送れ。そして世間並に葬式をせよ。葬式の際には空の棺桶を墓に送れ、仔細などない。しかし、これはさすがに、当時でも異様だったらしく、役所にとがめられているが、宣長には、彼が到達した思想より、そうするよりほかどうしようもなかった、と小林さんは書いている。

ここが大事なポイントだと思われる。つまり、小林さんは、宣長があたかも記憶には2種類あり、ベルクソンが言う、「運動図式」もしくは「感覚-運動系」などとも呼ぶ「純粋記憶」が表だった葬式の時に運ばれる空の棺、そして、先行してひっそりと夜中に密やかに寺へ送られる実際の遺体が「イマージュ記憶」と言うように考えていたのではないか、と密かに指摘しているように思えてならない。

そして、祀られ方について述べているが、これはもちろん、個人の死とその生前を忍ぶ、という意味で記憶が演繹されているならば、自己言及パラドックスに陥る。ということを表現しているのだろう。このことについては前稿で述べたので詳しくは説明しない。

補足して説明しておくと、宣長が寺へ葬られたのは、当時、日本で戸籍を管理していたのが仏教の寺であったためだ。当時の日本は鎖国中でキリスト教を排除するための制度でもある。

さて、「原点に戻る」という意味をもう少し補足しよう。宣長は実は遺言を書く前に、死後のことを研究するのは弟子に禁じていた。それが、急に遺言を書くために、墓所を探したりに出かけたりなどするものだから、弟子も大変に不審がっていたようだ。

すでに前稿で書いたように、宣長は自分の思想が自己言及パラドックス陥るのを防ぐために、全て考えたことをありのままに後世に残そうとした。そこでは、死ねば皆、黄泉の国に行くのであり、仏教の言う輪廻転生などない、と教えているのである。

さくらは繰り返し咲き、そしていつか枯れるだろう。枯れたら新しいのを植えよ、というのが宣長の遺言にある。

繰り返す季節の中で、生命は一続きの時間を繋いでいく。これが、『最初に戻る』という意味ではないか。見る人によっては、少々、無理矢理かもしれないが、私にはこう思えてならない。

初出:mixi 「本居宣長」の出だしについて 2011年03月08日

同様の文章は、ブログ、ホンダエツロウの悪戦苦闘の記事「小林秀雄さんの本居宣長について」にても読むことができます。

アドレス http://etsurohonda-blog.blogspot.jp/2011/08/blog-post_8950.html?m=1

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