2017年1月2日月曜日

小林秀雄さんの「忠臣蔵」

小林秀雄さんの「忠臣蔵」を読んでいろいろと考えている

小林秀雄さんは、「忠臣蔵」で語られている赤穂四十七士の討ち入りというのは、精神史的に非常に大きな歴史的な事件であり、光琳宗達の作品に劣るようなものではないと言う。

私の意見では、史実を越え「忠臣蔵」という劇として成立したこの事件には、古事記に記載されているある種の「歴史」と同じものが、近代おいても同様に心的事実として成立させているそのようななにかがあった、ということであろう

浅野内匠頭は吉良上野介に切りかかったとき「思い知ったか」と言ったそうであるが、切腹を命じられ結局思い知るのは自分であった。このときの内匠頭の心中はおそらく誰にも図れるものではなかったろう。このことを小林さんは「暗い」という言い方をしている。少し引用しよう。

「窮境に立った、極めて難解な人の心事を、私達の常識は、そっとして置こうと言うだろう。そっとして置くとは、素通りする事でも、無視する事でもない。そんな事は出来ない。出来たら人生が人生ではなくなるだろう。経験者の常識が、そっとして置こうと言う時、それは、時と場合とによっては、今度は自分の番となり、世間からそっとして置かれる身になり兼ねない。そういうはっきりした意識を指す。」

「常識は、生活経験によって、確実に知っている、人の心は、その最も肝腎なところで暗いのだ、と。これを、そっとして置くのは、怠惰でも、礼儀でもない。人の意識の構造には、何か窮極的な暗さがあり、それは、生きた社会を成立させている、なくてかなわぬ条件を成している、と。私は、わかり切った事実を言っている。あまりわかり切った事実で、これを承知している事が、生きるというその事になっている。従って、この事実への反省は稀れにしか行われない、と言っているのだ。」

こうして、浅野内匠頭は切腹へと向かっていくのだが、そこには辞世と呼ばれる歌が存在する

「風さそふ、花よりもなほ我はまた、春の名残を如何にとかせん」

この辞世も、「忠臣蔵」で描かれているような数々の挿話と同じように事実とは言えないだろうと指摘されているわけであるのだが、我々はこの辞世を彼の辞世と信じようとする。その心は一体どこにあるのか。そこが問題となってくる

史実は史実でしかないといえば歴史家に怒られるであろう。吉良上野介は名君であったという新聞記事も読んだことがある。そこにあるのは歴史であって歴史でない。そのような言い方は感傷にしか過ぎないのであろうか。

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