2012年6月27日水曜日

天才とは努力し得る才能である


天才とは努力し得る才能である 

これは、小林秀雄さんが珠玉ともいえる評論作品「モーツアルト」 で引用してるが、その部分がまたいいので、この言葉は 小林さんの言葉として思われていたくらいだ。

以下、少し引用してみる。

『天才とは努力し得る才だ、と言うゲエテの有名な言葉は、殆ど理解されていない。努力は凡才でもするからである。然し、努力を要せず成功する場合には努力はしまい。彼には、いつもそうあって欲しいのである。天才はむしろ努力を発明する。凡才が容易と見る処に、何故、天才は難問をみるということが屡々(しばしば)起るのか。詮ずるところ、強い精神は、容易なことを嫌うからだという事になろう。自由な創造、ただそんな風に見えるだけだ。制約も障碍 (しょうがい)もない処で、精神はどうしてその力を試す 機会を掴むか。どこにも困難がなければ、当然進んで困難を 発明する必要を覚えるだろう。

 (中略)

もはや五里霧中の努力しか残されてしかいない。努力は五里霧中のものでなければならぬ。努力は計算ではないのだから。これは困難や障碍の発明による自己改変の長い道だ。いつも 与えられた困難だけを、どうにか切り抜けてきた、所謂 世の経験家や苦労人は、一見意外なほど発育不全な自己を 持ってもいるのである。』

何も言うことはない。小林の渾身の名文を味わって欲しい。

さて、ここで、今度は、少し福沢諭吉の話をしてみたい。

福沢諭吉は明治維新の精神的な意味を最も把握し自覚していた人だ。これは、東洋の精神が西洋の文化に転向させられるような 精神的な危機的状況において、西洋の文化が全く違った文化土壌に於いて普遍性を持つかどうかということを検証できる好機であり、同じく東洋思想の普遍性も試される好機であると諭吉は喝破したということである、と小林さんは言う。

簡単に西洋思想に転向するような奴は頭が二つあるような分裂した奴である。「恰も(あたかも)一身に於いて二生を経る(へる)」ように 「私立」をもって個人個人でこの意味を検証しなくてはならない。これこそが、諭吉の神髄である。

注:()内の読み仮名は筆者。以下同様

さて、明治維新に於いて封建制度が民主主義に体制が変化した。これが人々に何をもたらすか?

封建制度は人々の外部に於いての制約をもたらした。一方、民主主義は人々の内側を制する。

どういうことか? 不平や恨み辛みを言う以上に悪いことはない。大概の短所は長所に変わることがあるがこれにはないということからもわかる。このような不平不満を抱く人達(以下、不平家という)は他人を自分の不平状態まで引きさげて満足するだけが望みとなる。

ここからいくつか小林さんの文を引くと、

『不平は、彼の生存の条件である。不平家とは、自分自身と 折り合いの決してつかぬ人間をいう』

『これらの人の心は自らを顧み(かえりみ)、自ら進んで取るということがない』

『そういう人間の心事は、うちには私語となって現れ、外には徒党となって現れるほかに現れようがない。』

諭吉はこれが「私立」における最大の困難と見た。

小林さんのエッセイ最後の文を引いて見よう。

『「士道」は「私立」の外を犯したが、「民主主義」は、「私立」の内を腐らせる。福沢は、このことに気附いていた日本最初の思想家である。』

もちろん、これは、小林さんが民主主義を否定しているということではないだろう。ここで「民主主義」は「私立」と対立するものとして描かれているが、「私立」のないところに本来の「民主主義」はないという反語だと見るべきだ。

これは、下世話な言い方をすれば、女の腐ったような奴らこそが「民主主義」と「私立」の敵だ、と言い換えられることになるだろうか。民主主義が世の「不平家」達の単なる数合わせの暴力となったとき、この現象は間違いなく起こる。これがファシズムの根本にあったことは言うまでもないことである。


初出:「天才とは努力し得る才能である」mixi 2006年10月13日
   「小林秀雄さんの福沢諭吉」mixi 2007年08月15日
以上のふたつを合わせて、一部を加筆修正後、「天才とは努力し得る才能である」と改題

0 件のコメント:

コメントを投稿