2012年6月27日水曜日

小林さんの本居宣長の読書メモ


1.紫文要領での「もののあわれ」論

もののあわれは何かというより もののあわれを知るとは何か? ということが宣長の中では大きな問題となっている。

「明らかに、彼は知ると感ずるとが同じであるような、全的な認識が説きたいのである。」
(小林秀雄 全作品 27巻 p.151)

「よろずの事にに触れて、おのずから心が感(ウゴ)くという、習い覚えた知識や分別は歯が立たぬ、基本的な人間経験があるということが、先ず宣長には固く信じられている」
(小林秀雄 全作品 27巻 p.152)

その他:
「彼が、式部という妙手に見たものは、「物のあわれ」という王朝情趣の描写家ではなく、「物のあわれを知る道」を語った思想家であった。」
(小林秀雄 全作品 27巻 p.152)

初出:もののあわれ論メモ1 2007年09月04日
(筆者注 もののあわれ論メモ1とあるが2以降はない)


2.小林さんの本居宣長メモ[大きな流れ]

本居宣長は源氏物語の批評を終えたあと、賀茂真淵に師事し 万葉集へ。その後古事記へ。

問題は古事記が初めて書かれた伝承を元にした歴史書ということに端を発する。

文字がなかった日本に漢字がもたらされ、それをどう使いこなして歴史書を生きた言葉で残すかそれに大変な苦心が払われた。音だけでも訓だけでもいちいちかなを当て字にしてもうまくいかないところをナントカ形にしたのが古事記であった。

しかし、残された書物を読み解くには、当時のもともとの言葉から今のことば(江戸時代の言葉)大きく変わった。それが言語の特徴でもある。ナントカ自分の思ってることを相手に伝えたい。その様な生き生きとした言語活動が時代によって発明され受け継がれてきた。今の人には今の言葉が必要である。しかし、同じ日本語なので変わらない部分もある。その辺が言葉の難しいところだ。

さてもさても、宣長は悩んだ。しかし、すでに基礎は出来ていた。源氏物語、万葉集の解読はまた宣長にとっては愛読書であった。

宣長は、まったく古事記の中に入っていった。それは、心のなかにを古代の人達の心を完成させていく困難な作業であった。しかし、その大変困難な作業故にこそ古事記伝は完成され期を画したのである。

従って、宣長は古事記に関して一切の批判をすることをしていない。これが、上田秋成との論争につながっていきまた現代の我々の事実を重んじ科学的といわれる批評からは前時代的な印象を持つことになる。

しかし、繰り返すが、宣長は古代の人の心に全くなりきった。それは、一つ一つの文字を丁寧に慎重に解読していく体験を通してからしかなかったのである。

初出:mixi 小林さんの本居宣長 2007年09月12日

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